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博多人形師 博多祇園山笠、中洲流れ舁き山の人形も手掛ける

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溝口 堂央  Touyou Mizoguchi
博多人形師

 「師匠の中村信喬(なかむらしんきょう)先生から、作品展を見に行って本物を肌で感じるように教えられています」と語る溝口さん。本物を見ることでしか得られないものがあり、創作のヒントにもなるという。工房の書棚には、日本の髪型、大英博物館、日本の国宝、各国の紋様、北斎など様々な書籍が並ぶ。


 日本伝統工芸会正会員(日本伝統工芸展で4回以上入選することで資格が与えられる)の溝口さんは、同西部支部の記念事業の一環で2009年、九州国立博物館に出展。現在生きている作家の作品が国立博物館に展示されること自体が珍しく、人形師として栄誉を感じたという。多数の受賞歴があるが、2006年「西部工芸展・福岡市長賞」を受賞した「月影(げつえい)」という作品は、溝口さんの代表作だ。この作品は、古代中国・秦の時代、兵馬俑からインスピレーションを受けて創作した作品だという。城壁の前で、月明かりに照らされながら笛を吹くところを想像して作った。

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 志賀島の女神が漂って水浴びをする「志賀の海」という作品も目を奪われる。抽象的な曲線を女性の姿を借りて表現したかったのだという。穏やかな女性の表情が見る人の心を鎮める。
 博多人形師として地元のお祭りに関わりたいという気持ちから、長年博多祇園山笠に舁き手としても参加する。2014年からは中洲流の舁き山の人形制作も手掛けることになった。「師匠の跡を次いで、今年初めて山笠の制作に携わるのでプレッシャーはありましたね」と語る。山笠にはテーマが設けられている。陰陽の調和をとるため、勇ましい武将が並ぶ勇壮な「指山(さしやま)」とおとぎ話など優美・優雅なものを飾る「堂山(どうやま)」に分かれる。「一番、三番、五番、七番の奇数が「指山」(別名男山)、二番、四番、六番の奇数が「堂山」(別名女山)と呼ばれ、毎年繰り上がっていくのが習わしです。こういうことを知っておくと、山笠を見る楽しさがまた増ますよ」と教えてくれた。


 常に題材探しをしているという溝口さん。「深い思いを強く出せる題材をいくつ持てるかが必要だと感じています。人形師は人との関わりが多いので、これからもご縁を大切にしていきたい」と語ってくれた。ひと目見て、これは溝口堂央の作品だと思われるような作品をこれからも創作していきたいと締めくくった。

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若き3代目、日田の下駄王子が作る新たな下駄とは

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日田下駄職人

本野はきもの工業 3代目
本野 雅幸 Masayuki Motono


今回は日田の下駄王子こと本野雅幸さんを取材。
と、その前に日田下駄の現状を軽く知っていただきたい。

日田は木材関連産業の集積地として発展し、中でも日田下駄は江戸幕府の直轄地であった天領日田の時代から作られている。明治時代以降は次第に機械化が進み、日田下駄は全国に流通。静岡、広島(松永)と並ぶ三大産地として隆盛を極めた。材料に使用される日田杉は軽くクッション性にも優れ、履くと素足に心地よくフィットする。木目の美しさも特徴のひとつ。他の伝統工芸品同様、人々の生活様式の変化や安価な製品の輸入などが原因で、日田下駄の置かれている現状は厳しいという他ない。

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日田杉の丸太が下駄になるまでには大まかに3つの工程があり、それぞれ専門の会社が受け持つ仕組みだ。最初に丸太を製材し角材にする。この角材を下駄枕と呼ぶ。次に生地会社が下駄枕を下駄の形に加工する。最後に本野はきもの工業のような製作会社が下駄を仕上げる。かつては隆盛を極めた日田下駄だが、現在下駄を製作する会社は20社に満たない。下駄枕を作る会社に至っては1社残るのみ。全体的に高齢化が進み、下駄産業は先が見えない状況だ。後継者の育成は急務だ。



本野はきもの工業は昭和23年に創業。三隈川のほとりに建ち、対岸の丘の上にはサッポロビール日田工場が見える。両親と3代目の雅幸さんの3人で営んでいる。本野はきもの工業の3代目として、日田下駄の顔として各メディアに露出し、地域のイベントや展示会に東奔西走し日田下駄をPRする。「先の見えない下駄の家業を継ぐつもりはありませんでした。父も継がせたくなかったようです」と語る本野さん。次の仕事が見つかるまでのつもりで家業を手伝ったのがきっかけだったという。軽い気持ちで手伝ったのが、面白くて本気になってしまったのが本音のようだ。



伝統的な日田下駄は神代(じんだい)焼きという技法で作られる。バーナーで表面を真っ黒になるまで焼いて磨くと、柔らかい部分が削れ、硬い木目だけが黒く残る。神代焼き仕上げをすることで、柾目や板目の模様が一層引き立つ。神代焼きの他に黒塗りの下駄も作る。塗る作業は父、廣明さんの担当。塗って乾かし塗って乾かし、何層も塗って仕上げる手間のかかる仕事だ。



伝統的な日田下駄を作る一方で、他のアートや作家とコラボするなど新たな商品作りにも力を注ぐ。クラフト作家とコラボした「みゅーる下駄」はジーンズやスカートにも合わせられる下駄で、かかとを合わせるとハートが現れる遊び心を兼ね備えた作品。エアブラシアートとコラボした「和あそび」、布地を貼り付けてコーティングした「布あそび」、ネイリストが黒塗りの下駄にネイルアートを施した「デコ下駄」、足のサイズが大きな人でも履ける「キングサイズ」など様々な商品開発を行っている。



「日田下駄をもっと多くの人に知ってもらうため、工場の建て替えも計画しています」と本野さん。大型観光バスでやって来て、塗ったり、削ったり、鼻緒を付けたりする作業風景が見えるような作りにしたい、そんな将来の夢を話してくれた。




本野はきもの工業
http://www.hita-geta.com/
大分県日田市三芳小渕町1080-3
TEL.0973-22-4460

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博多織 自宅を改装し日々コツコツ手織り作業

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博多織手機技能修士

古賀 陽子 Youko Koga

 博多織デベロップメントカレッジの2期生。2007年から博多織を学び始め、全国伝統工芸品公募展、福岡県美術展覧会、西部伝統工芸展などに次々入選するなど織士として実績を着実に上げている。2012年から自宅で帯を中心に博多織の制作を開始。「織機は高さがあるので天井を上げて、床も20cm下げました」と古賀さん。織機は2台設置。背の高い方が帯用で小さい方が着物の着尺用だ。大きな織機を自宅に工房を構えるのは大変だったが、苦労の甲斐あって日々織物制作に打ち込めるという。子供の頃の夢は織士ではなく考古学者か宇宙飛行士になることだったという古賀さん。お母さんが普段から着物を着ていたこと、お謡いなど日本の伝統芸能に小さい頃から触れていたこともあり、比較的着物には接点があったが、まさか博多織に携わるとは思っていなかったという。

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 帯の図案や柄は自分でデザインする。「大好きなカラーの花を帯柄にしました。山をイメージしたデザインなど動きがあるものが私の好みです」と話す。花や自然を題材にすることが圧倒的に多い。織の作業をしていると煮詰まってしまうこともあり、リフレッシュに山登りやウォーキングをする。その時にふと浮かんだものをデザインに取り入れるという。作った帯地から柄を活かしたポーチなどの小物も作る。
 この日は、古賀さんのブログを見た大阪の女性から依頼を受けたという帯の制作に取り掛かっていた。経糸(たていと)を結ぶ経継(たてつぎ)という作業の真っ最中で、7,000本から8,000本の糸を一本一本手作業で結んでいく。気が遠くなるような作業に思えるが、古賀さん本人は「頭が一番自由な時間。この作業が一番好きです。織り始めるともう変更ができませんから」と語る。デザインは任せられているそうだが、歌舞伎に行くときに着物で行きたいという依頼者の要望に合わせて作るオーダーメイド帯だ。
 織士さんの作品にはそれぞれ持ち味がある。「作品は私にとって分身のような存在。自分の作品は自分が一番好きだと思います。飾られている帯を見ると、あの時の私がいる!と思っちゃうんです」と語る古賀さん。「ひと目惚れしました」「大事にしますね」と帯を購入した人から掛けられる言葉が一番嬉しいとも話してくれた。

「手仕事の日々…春夏秋冬コツコツ手織」で情報発信中
http://blog.goo.ne.jp/gum2ico

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