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高取焼味楽窯第十五代  亀井味楽さん

亀井味楽 人物



高取焼味楽窯第十五代
陶芸家 亀井味楽 Miraku Kamei


福岡市早良区高取。高取の地名の由来にもなった高取焼味楽窯は、地下鉄藤崎駅や商店街からほど近い住宅街の一角にある。高取焼の歴史は400年と古く、そのルーツは秀吉の朝鮮出兵にまでさかのぼる。出兵の折、藩主黒田長政が朝鮮の陶工を筑前に連れ帰り鷹取山(直方市)の麓に窯を開かせたのが始まり。江戸初期の大名茶人・小堀遠州(こぼりえんしゅう)が指導した「遠州七窯」のひとつとしても知られ、茶の湯の道具が多く焼かれた。黒田藩の御用窯として守られながら、現在の早良区高取に開いたのが1717年。来年2017年は高取の地に窯が作られて300年という節目の年にあたる。


昭和56年 福岡県美術展奨励賞受賞
昭和57年 福岡県美術展豊田賞受賞
昭和58年 福岡県美術展朝日新聞社賞受賞
平成2年 西部工芸展福岡市長賞受賞
平成5年 福岡市美術展福岡市長賞受賞
平成7年 西部工芸展朝日新聞社賞受賞
平成11年 西日本陶芸展福岡県知事賞受賞
平成18年 福岡市技能優秀賞受賞


亀井味楽さんが十五代味楽を襲名したのは平成13年、40歳の時。上記のように、主な受賞歴を見るだけで、その活躍ぶりはお分かりいただけるだろう。日本工芸会正会員であり、福岡県版現代の名工といわれる福岡県技能優秀者としても表彰された。米国・ワシントンDCの「フリーア美術館」や中国の「景徳鎮陶磁器博物館」に収蔵品として展示、また2014年には米国・ボストンで個展を開き「ボストン美術館」に作品を寄贈するなど、活動範囲は海外にも及んでいる。一方で地元でも積極的に活動する。福翔高校では陶芸講師として生徒に指導。また地元西新にある西南学院大学創立100周年記念事業の一環としてキャンパスに建設された「西南学院百年館」に校歌を記した高取焼の陶板を制作。釉薬に校内の松葉の灰を加え、スクールカラーのグリーンを表現した。


亀井味楽 器1
亀井味楽 器2
亀井味楽 器3
亀井味楽 器6
亀井味楽 器7
亀井味楽 器8
亀井味楽 器9
亀井味楽 器10


国内、海外での活動を経て、強く感じることがあるという。
「新しいものを作ろうという気持ちはいつもあります。ただ、先人の誰かがやっていることに気付きます。奇抜なものより伝統的な日本の焼き物に関心を示す人が多いということも事実です。古い高取焼の伝統を守りつつ新しいことにも挑戦したい」
土や釉薬など素材が大事という味楽さん。それがそのまま窯の特徴につながるという。土は江戸時代と同じ太宰府市向佐野(むかいざの)から取り寄せ、赤土、白土、並土の3種類の土を作品によって使い分けている。ろくろも電動と蹴ろくろの両方を使い分ける。また、高取焼の最大の特徴ともいえるのが白、黄、黒、緑青(ろくしょう)、うぐいす色の高宮、まだら状の黄土色に仕上がる銅化(どうけ)、透明の布羅志(ふらし)など7色の釉薬。複数の釉薬を掛け分けた奥深い作風も高取の持ち味といえる。



創作活動で行き詰ってしまうこともあるという味楽さん。
「行き詰まったときのために、いつも自分でテーマを持っています。リセットして趣味の釣りやドライブをして森の木々や雲を眺めたりするんです。アメンボの波紋から創作のヒントを得たこともあります。自然界から得るものは多いですね」




「日本の失われつつある文化や伝統、ステータスを復活させたい」と、味楽窯では陶芸教室の他に、香道や華道、お茶会など和文化の教室を定期的に行っている。
「高取焼のルーツ・韓国から若い人たちを招いて文化交流など何らかの恩返しをしたいですね。味楽窯には美術館もあります。多くの方に足を運んでいただきたいです」
今年4月には長男の久彰さんが窯元に戻り陶芸家の道を歩み始めた。父から子へ、伝統がまた受け継がれていく。




高取焼味楽窯
〒814-0011 福岡市早良区高取1-26-62
公式HP
http://www.takatoriyaki.jp
味楽窯美術館
開館時間/10時~17時
休館日/日・祝
入場料/無料



亀井味楽 祠
亀井味楽 露地
亀井味楽 登窯
亀井味楽 美術館
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その土地でしか作れないものを追求したい。上野焼・庚申窯三代目、高鶴裕太さん

高鶴裕太01




高鶴 裕太 Yuta Kozuru




上野焼 庚申窯 Aganoyaki Koshingama 三代目


陶芸家



庚申窯公式HP
http://aganoyaki.net/
住所/〒822-1102 福岡県田川郡福智町上野1937
電話/0947(28)2947


上野焼には一度途絶えてしまった歴史がある。高鶴家の先祖をはじめ地元有志により再興され、現在では20ほどの窯元が標高900.6m、登山客に人気の福智山麓に点在する。周囲に日帰り温泉も数軒あるので登山の汗を流して帰る人も多い。1971年に建設された庚申窯の三代目、高鶴裕太さんは横浜国立大学を卒業後すぐに窯に戻ってきた。陶芸家となり3年目の若手だ。周囲が就職活動を始める大学3年生の時に窯に戻ることを決意した。
「庚申窯では自分の好きな時に集中できて、好きな時に休める。その環境が魅力でした。他の仕事を経験してからという選択肢もありましたが、例えば10年外で働いたとして、その10年の創作の遅れは大きいと思いました」
と語る三代目。祖父や父からは自由にやらせてもらっている。弟子制度ではないのが三代目にとって大きかった。




庚申窯の大きな特徴は、初代で祖父の高鶴智山(こうづるちざん)さんと二代目の父享一(きょういち)さん、そして三代目の裕太さんという三世代の作風が異なる陶芸家が一緒にやっていること。祖父智山さんは模様を盛り付ける貼花(ちょうか、てんか)や透かし彫り、表面を削り模様を出す掻き落としなどの技法を使った細工が得意。庚申窯を開く前は花を栽培する仕事をしており、花をモチーフにしたデザインが多い。父享一さんはダイナミック、骨太。細工はあまりしない。ろくろを引いた時の手や指の跡をあえてそのまま作品に活かすことも多い。三代目は“日用品は使いやすさが一番”という思いから、持ちやすいかどうか、飲み心地はどうかなどに気を配ってきっちり作る。3人がそれぞれの作風を出しながら陶芸に向き合っている。親子三代の陶芸家が並んでろくろを回す姿などは、庚申窯ならではである。

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器作りは粘土作りから始まる。土を天日で乾かし木の根や石を取り除く。細かく砕き水に溶いて精製、さらに乾燥させてしばらく寝せる。できた粘土をろくろで成形し、乾燥、素焼き、釉薬や絵の具を塗り、本焼き、研磨・チェックという工程を踏む。全て手作業なので大量にはできない。本焼きについて少し説明をしておきたい。窯の種類だけでも電気窯、灯油窯、薪窯と3種類あり、使う窯によって仕上がりに特徴が出る。焼成にも酸化や還元といった技法があり、完全燃焼させる酸化焼成は仕上がりで本来の色が出せる。灯油窯では無理矢理燃焼させ酸素不足の状態にし還元焼成させることもできる。酸化に比べると還元は色の変化が出やすい。藤色になるのはこの還元である。年に2回、薪窯を使う。朝から火入れをし、古民家の廃材などを投入し翌日の昼までおよそ30時間焚き続ける。湿度、くべる木の種類や状態、窯の中に置く焼き物の位置や数など多くの要素が作品に影響するため完全に同じものは作れない。薪窯の作品は全てが一品作となる所以である。水で消さず自然に炎が消えるのを待つ。数日間放置し冷ますことで割れにくくなり、良い風合いになる。
「薪窯から出して仕上がりを見る時がたまらなく面白いですね。他の窯では出せない優美で奥行きのある色味が出ます。何回やっても自分の想像とは違ったものができる。それが薪窯の良さです」(享一さん)




器だけではなく、アート作品も作っている。
「陶器の仮面を作っています。仮面舞踏会で被るようなヴェネチアンマスク風の仮面や、バリの神や聖霊をモチーフにした仮面です。絵を描くのが好きなので壁掛け用の絵の陶板も作ります。アート作品の制作から日用品に還元できる技術もあります」(裕太さん)
今後、挑戦したいことも尋ねてみた。
「陶芸は鉱脈が広い。技術とか表現とか数年でやり遂げるのは無理なので時間をかけてやっていきたいです。上野焼の特徴や手作りでしかできないものを追求していきたい」(裕太さん)
また、他の工芸や窯元同様に後継者不足は上野焼も同じ問題を抱えることにも言及。
「上野焼の窯元には後継者がいないところもあります。陶芸に興味がある方がいたら、ぜひ一緒にやりませんか!?」と若き三代目は語ってくれた。(了)

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マルティグラス一筋30年以上の熟練職人、杉岡良紀さん

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杉岡 良紀 Yoshiki Sugioka


有限会社マルティグラス 職人




1963年10月19日生まれ。18才からマルティグラス一筋という熟練職人の杉岡さん。魚釣りと野球が趣味で、特に野球は地元少年野球チームの監督として指導するほど。温厚で職人気質という言葉がぴったりの人だ。


開運商売繁盛の神様として有名な宮地嶽神社(福津市)に隣接する縁起のいい場所にマルティグラスの工房がある。マルティグラスとは「MULTIPRE LAYER GRASS(マルティプルレイヤーグラス=多重積層のガラス)」の略称で、性質の異なる色ガラスを何層も重ね合わせて作られる。丸みを帯びた優しいフォルムと鮮やかな色づかいが特徴。


有限会社マルティグラスには、杉岡さん含め現在4人の職人が在籍する。
「オーナメントから食器類まで種類が豊富なので、一人前のマルティグラス職人になるには最低でも10年は必要です」と杉岡さんが語る通り、干支もの、ふくろう、龍、飾り兜、お雛様などオーナメントからコーヒーカップ、焼酎グラス、抹茶碗、箸置きなど日用品、イヤリングやペンダントなどアクセサリまで様々なものを制作する。工房隣の展示場には300アイテム以上が並ぶ。

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工房には大きな窯がいくつもあり熱気に満ちている。溶解窯にガラス原料を入れ1200℃の高温で10時間かけて溶かす。溶解窯から鉄パイプで真っ赤に溶けたガラス生地を巻き取り、その上に色ガラスを何層も重ね合わせていく。成形という工程では、使い慣れた工具を用いて摘んでのばし、穴を開け、徐々に形を整える。ガラスが冷えてくると細工窯に入れて再加熱する。局部的に熱する時はバーナーを使う。職人の手技でガラスの塊がみるみる完成に近づく。仕上がった作品はパイプから切り離し徐冷窯に入れる。常温になるまでおよそ24時間放置する。外に置かず徐冷窯に入れるのは、一気に冷えて割れるのを防ぐためだ。徐冷窯から出されると研磨機で面を磨き、検品作業を終えるといよいよ出荷される。

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新しい商品を作る時は、職人さんもデザイン段階から参加することがほとんどだという。
「正面だけではなく、横や後ろから見た造形にもこだわります。同じものを同じ人が作っても表情が違った作品に仕上がるところが難しさであり、手作り感があって面白い部分でもあります」
最後に、今後の夢を杉岡さんに尋ねてみた。
「もっと大きな作品を仕上げたいですね。窯には限度があるので接着になりますが」
窯の間口の関係で一度にできる大きさには制限があるので、何体か組み合わせて大きな作品にしたいのだという。この道一筋30余年。熟練ガラス職人のアイデアがマルティグラスの可能性を広める。(了)

有限会社マルティグラス
http://www.multiglass.co.jp/

宮地嶽神社
http://www.miyajidake.or.jp/

福津市観光協会
http://fukutsukankou.com/

博多人形師 博多祇園山笠、中洲流れ舁き山の人形も手掛ける

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溝口 堂央  Touyou Mizoguchi
博多人形師

 「師匠の中村信喬(なかむらしんきょう)先生から、作品展を見に行って本物を肌で感じるように教えられています」と語る溝口さん。本物を見ることでしか得られないものがあり、創作のヒントにもなるという。工房の書棚には、日本の髪型、大英博物館、日本の国宝、各国の紋様、北斎など様々な書籍が並ぶ。


 日本伝統工芸会正会員(日本伝統工芸展で4回以上入選することで資格が与えられる)の溝口さんは、同西部支部の記念事業の一環で2009年、九州国立博物館に出展。現在生きている作家の作品が国立博物館に展示されること自体が珍しく、人形師として栄誉を感じたという。多数の受賞歴があるが、2006年「西部工芸展・福岡市長賞」を受賞した「月影(げつえい)」という作品は、溝口さんの代表作だ。この作品は、古代中国・秦の時代、兵馬俑からインスピレーションを受けて創作した作品だという。城壁の前で、月明かりに照らされながら笛を吹くところを想像して作った。

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 志賀島の女神が漂って水浴びをする「志賀の海」という作品も目を奪われる。抽象的な曲線を女性の姿を借りて表現したかったのだという。穏やかな女性の表情が見る人の心を鎮める。
 博多人形師として地元のお祭りに関わりたいという気持ちから、長年博多祇園山笠に舁き手としても参加する。2014年からは中洲流の舁き山の人形制作も手掛けることになった。「師匠の跡を次いで、今年初めて山笠の制作に携わるのでプレッシャーはありましたね」と語る。山笠にはテーマが設けられている。陰陽の調和をとるため、勇ましい武将が並ぶ勇壮な「指山(さしやま)」とおとぎ話など優美・優雅なものを飾る「堂山(どうやま)」に分かれる。「一番、三番、五番、七番の奇数が「指山」(別名男山)、二番、四番、六番の奇数が「堂山」(別名女山)と呼ばれ、毎年繰り上がっていくのが習わしです。こういうことを知っておくと、山笠を見る楽しさがまた増ますよ」と教えてくれた。


 常に題材探しをしているという溝口さん。「深い思いを強く出せる題材をいくつ持てるかが必要だと感じています。人形師は人との関わりが多いので、これからもご縁を大切にしていきたい」と語ってくれた。ひと目見て、これは溝口堂央の作品だと思われるような作品をこれからも創作していきたいと締めくくった。

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若き3代目、日田の下駄王子が作る新たな下駄とは

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日田下駄職人

本野はきもの工業 3代目
本野 雅幸 Masayuki Motono


今回は日田の下駄王子こと本野雅幸さんを取材。
と、その前に日田下駄の現状を軽く知っていただきたい。

日田は木材関連産業の集積地として発展し、中でも日田下駄は江戸幕府の直轄地であった天領日田の時代から作られている。明治時代以降は次第に機械化が進み、日田下駄は全国に流通。静岡、広島(松永)と並ぶ三大産地として隆盛を極めた。材料に使用される日田杉は軽くクッション性にも優れ、履くと素足に心地よくフィットする。木目の美しさも特徴のひとつ。他の伝統工芸品同様、人々の生活様式の変化や安価な製品の輸入などが原因で、日田下駄の置かれている現状は厳しいという他ない。

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日田杉の丸太が下駄になるまでには大まかに3つの工程があり、それぞれ専門の会社が受け持つ仕組みだ。最初に丸太を製材し角材にする。この角材を下駄枕と呼ぶ。次に生地会社が下駄枕を下駄の形に加工する。最後に本野はきもの工業のような製作会社が下駄を仕上げる。かつては隆盛を極めた日田下駄だが、現在下駄を製作する会社は20社に満たない。下駄枕を作る会社に至っては1社残るのみ。全体的に高齢化が進み、下駄産業は先が見えない状況だ。後継者の育成は急務だ。



本野はきもの工業は昭和23年に創業。三隈川のほとりに建ち、対岸の丘の上にはサッポロビール日田工場が見える。両親と3代目の雅幸さんの3人で営んでいる。本野はきもの工業の3代目として、日田下駄の顔として各メディアに露出し、地域のイベントや展示会に東奔西走し日田下駄をPRする。「先の見えない下駄の家業を継ぐつもりはありませんでした。父も継がせたくなかったようです」と語る本野さん。次の仕事が見つかるまでのつもりで家業を手伝ったのがきっかけだったという。軽い気持ちで手伝ったのが、面白くて本気になってしまったのが本音のようだ。



伝統的な日田下駄は神代(じんだい)焼きという技法で作られる。バーナーで表面を真っ黒になるまで焼いて磨くと、柔らかい部分が削れ、硬い木目だけが黒く残る。神代焼き仕上げをすることで、柾目や板目の模様が一層引き立つ。神代焼きの他に黒塗りの下駄も作る。塗る作業は父、廣明さんの担当。塗って乾かし塗って乾かし、何層も塗って仕上げる手間のかかる仕事だ。



伝統的な日田下駄を作る一方で、他のアートや作家とコラボするなど新たな商品作りにも力を注ぐ。クラフト作家とコラボした「みゅーる下駄」はジーンズやスカートにも合わせられる下駄で、かかとを合わせるとハートが現れる遊び心を兼ね備えた作品。エアブラシアートとコラボした「和あそび」、布地を貼り付けてコーティングした「布あそび」、ネイリストが黒塗りの下駄にネイルアートを施した「デコ下駄」、足のサイズが大きな人でも履ける「キングサイズ」など様々な商品開発を行っている。



「日田下駄をもっと多くの人に知ってもらうため、工場の建て替えも計画しています」と本野さん。大型観光バスでやって来て、塗ったり、削ったり、鼻緒を付けたりする作業風景が見えるような作りにしたい、そんな将来の夢を話してくれた。




本野はきもの工業
http://www.hita-geta.com/
大分県日田市三芳小渕町1080-3
TEL.0973-22-4460

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